第342話 農業衰退の原因(1)

百姓雑話

1970年代後半から、日本の農業は衰退の一途をたどってきた。なぜこうなってしまったのか。

私が一言で表現するなら、「職業として農業を営んでも喰っていくのが難しいから」となる。他にもいろいろな原因はあるが、突きつめれば、これに尽きるだろう。

農業所得だけでは喰えなくなった農家は、息子や娘をサラリーマンにしたり、営農者自身も農閑期に他の職で給与を得たり、アパートや駐車場を設けて不労所得を加えたり、果ては農地を宅地化し巨額の現金を手にして生きのびてきた。これらの生存手段に恵まれなかった農家は農業に見切りをつけた。そして、地元に他の仕事を見つけられなかった者は泣くなく喰えない故郷を捨てた。過疎化である。

私が営農している地域は農地を宅地化して売ることができない。いわゆる「農振地域」である。それでも、あの手この手で農業を営んでいる農家が多い。そのほとんどは農業以外からの所得がある兼業農家で、若い農業後継者がいる農家は数えるほどである。近くに工業団地もあり働く場に事欠かないが、それでも家主を失った廃屋があちこちに見受けられる。

ここで、私の実家の例を付け加えよう。
実家は、周りを水田に囲まれた40戸ほどの寒村にあり、専業農家であった。私が幼いころは、村民の大部分は農業を営み、5、6戸くらいが専業農家であったようだ。実家は、村一番の大家族で、多い時には15人が一つ屋根の下で暮らしていた。食事は一度に済まないので、2班に分かれて摂った。農作業には父と母を筆頭に、叔父たちと叔母たち、長男が従事し、農繁期には他の者も手伝って、どうにか生計を立てていた。

そのうち、叔父や叔母は一人二人と実家を去り、次男や姉たちも独り立ちしていった。残る両親と長男夫婦はがむしゃらに働いた。越冬キュウリが主たる収入源で、米麦も数ヘクタールくらい作付けていた。それで稼げた金額は年間千数百万であったと聞く。借金して建てたビニールハウスの建築費を返却し、その他の経費を除くと、その半分くらいしか残らなかったであろう。4人が目いっぱい働いて、一人頭150万円ほどの所得である。当時は「高所得の農家」と地元では言われていたようだが、実際は、大家族がゆえに、家計は大変だったろう。「農業じゃ喰っていけない。お前はサラリーマンになれ」が父の口癖で、母は「農家に嫁いで来るんじゃなかった。農家なら喰えると思って来たが、喰えたのは飯だけだった」と晩年こぼしていた。

私が成人した頃、近くを国道のバイパスが通ることになり、実家の農地の一部も路線にかかり、運良く不労所得を手にした。くわえて、バイパスと県道が交差する角地をガソリン・スタンドに貸し、月々の定期所得も転がり込んできた。そのお陰で、やっと新しい家を建てられた。農業所得だけでは、新築はもっと遅れていたに違いない。

しかし、苦労を重ねてやっと建てた家の主たちは次々に他界し、甥や姪も家を出て、今では兄嫁一人だけが。ここにも、過疎化の現実があった。

(文責:鴇田 三芳)