第191話 マニュアル化の功罪

百姓雑話
これはテストえです

毎日、退屈しない。いや、「退屈させてくれない」というのが適切だろう。栽培する野菜の種類が多いため、実にいろいろな作業があり、さらに、天気の変化にあわせて予定の作業を変更することもあれば、予期せぬことへの対応に追われることもある。こんな日々を煩わしいと思うか、新鮮な感覚で前向きに受けとめるかは本人次第だが、その隔たりはとても大きい。

ところで先日、ある研修生が「作業をマニュアル化したらどうですか」と助言してくれた。研修を受ける者にとっては、きちんと整理されたマニュアルがあれば、その方が理解しやすい。研修期間も短くて済む。学校で言えば、教科書やテキストのようなものである。

早速、主な野菜の栽培マニュアルを作成しようとパソコンに向かったが、なかなか作業が進まない。その内、夏野菜の収穫量が多くなり、「忙しい」という理由をつけて作成を中断してしまった。よくよく深層心理を覗き込んでみると、マニュアル作成に何か心に引っかかるものがあった。

その一つは、冒頭でも述べたように、作業の種類が非常に多く、くわえて状況に応じて臨機応変の対応が要求されるため、マニュアル化がなかなか難しいことである。事と次第によっては、その場で新たな対応策を考えなければならないこともある。それでも、システム・エンジニア(SE)のような才能があれば可能かもしれないが、残念ながら、私は持ち合わせていない。

もう一つは、マニュアル化が思考力を減退させるような気がしてならない点である。コンビニやスーパーなどの従業員の受け答えはマニュアル化されているらしい。私は、レジで現金の受け渡しをする時、彼らの発する言葉に違和感を覚えてならない。日本語として不適切なだけでなく、何か機械と会話しているような気がしてならないからだ。

しかし私自身、「いずれ、やらなければ」と以前から思っていたので、遠からず仕上げようと思っている。

(文責:鴇田 三芳)