第398話 労働の平準化

百姓雑話

どんな業界でも仕事でも、需要と供給能力のアンバランスが起き、労働の平準化に四苦八苦する。

かつて急速に経済成長していた時代、4月になると若者がどっと就職する関係で、春は車や家電製品の需要が急増した。その需要に応えるため製造業界は、積雪で暇な地帯の農民を大量に季節雇用し、需要と供給のバランスをとった。この手法も労働を平準する一つである。

季節雇用の他にも、主婦などのパート雇用や学生アルバイトも平準化に貢献してきた。1990年代にバブル経済が弾けデフレ社会になってからは、派遣会社が提供する非正規労働も激増してきた。これも、「人件費の抑制」という企業の思惑が根底にあるものの、労働の平準化の手段である。

農業分野も同じで、ほとんどの農家にとって、「農繁期」と「農閑期」がある。この現実は昔から宿命だった。やはり、やる気のある農家は農繫期と農閑期の平準化に苦労してきた。

農繁期と農閑期が生じる原因はいくつかあるが、もっとも大きい原因は日本に四季があることだ。積雪地帯では年間の半分ほどの季節はほとんど栽培できず、積雪がない地帯でも厳冬期には栽培できる作物が限られる。

私は冬冷えが厳しい北関東の専業農家に生まれ育った。その地は米麦の二毛作が主流だったため、冬場の農閑期には縄や莚(むしろ)を編むのが父母の仕事だった。

父母は、米麦栽培だけでは10人以上の家族を養うに十分な収入が得られず、農閑期をなくすため新しい仕事に何度もチャレンジした。ウサギを飼ったり、越冬ホウレン草を水田に栽培したり、採卵用の養鶏も手掛けた。いろいろな試行錯誤の結果、越冬キュウリのハウス栽培にたどり着いた。こうして、冬場の農閑期をなくし、労働の平準化を実現できた。

私自身も労働の平準化に苦労してきた。

一つ目の対策は通年で多品目を栽培すること。これは、技術が未熟なうちは失敗が多く、とても採算性が悪かった。50品目以上も栽培するとなると、多くの技術と経験が必要であり、習得までに20年近くの期間を要した。

二つ目はパート従業員を雇用すること。1回目のチャレンジは、技術と経験が足りなく、あえなく失敗。数百万円の赤字を出した。技術と経験をつんだ3回目のチャレンジは、近所の梨農家から紹介された主婦が非常に優秀で、おおいに助けられた。

今では、シルバー人材センターから派遣された高齢者と大学生、それに就農希望の若い主婦に支えられて皆生農園は順調に回っている。30年以上の試行錯誤と苦闘が少しは報われたような気がする。

(文責:鴇田 三芳)