第277話 サラリーマン時代の終焉(1)

百姓雑話

世間ではピカピカのサラリーマンが働き始めている。彼らの一体どれほどがサラリーマンとして生き残れるのだろうか。すでにサラリーマンの1/3は、正社員ではなく、身分が不安定で給与が低く抑えられている。これらの人々は、「雇用され給与をもらう」という労働形態から言えばサラリーマンだが、実態は自営労働者に限りなく近い。

日本でサラリーマンが労働者の主流になってから200年もたっていない。明治以前は農民が圧倒的多数を占めていた。世界的に見ても、産業革命以降のことである。そんなサラリーマン時代の世界的な終焉が始まった。もしかすると20年もたたないうちに、春闘など無意味になり、「サラリーマン」という言葉自体が半ば死語になっているかもしれない。

なぜなら、IT技術を基礎にした自動化とロボット化が急速に普及し、人間による労働が激減するからである。

例えば、産業の裾野が非常に広い自動車業界も一変するだろう。壊れにくく単純な構造の電気自動車を異業種や中小の企業も生産し、価格がぐんと下がり、爆発的に普及するだろう。必然的に、大手数社の独占市場が一気に崩れる。販売方法も劇的に変わるだろう。今まではディーラーのショールームなどに出かけ、現物とカタログを見てから車を購入しているが、近い将来はインターネットの通販サイトで買うのが普通になるだろう。まさに、少し大きめの電気製品を買う感覚である。

このように、日本では一人勝ちできた自動車産業からも膨大な数のサラリーマンが間違いなく失職する。

そこで、どんな労働者が生き残れるかと考えた時、「機械に代替えできない労働をこなせる者」しか思い当たらない。例えば、高度な頭脳労働者、膨大な財力を駆使できる者、機械よりも精度の高い物を作れる者、人の感情に訴えられる者、そして機械よりもコストのかからない者。これくらいだろうか。ここで言う「高度な頭脳労働」とは、パターン化もルール化もしにくい事柄への思考力・想像力が必要となる。先日、将棋の佐藤名人がAI「ボナンザ」に71手目で敗れたが、ルールとパターンのある勝負で人間が勝てるはずもない。

(文責:鴇田 三芳)