第369話 日本の食料リスク(3)

百姓雑話

日本における食料危機を起こす原因の一つは自然災害です。それらの中でも、もっとも悲惨な結果を招くものが火山の大爆発です。そして、これは確実に起こります。

日本人の庶民までもが食料に困らない時代は、きわめて稀でした。私が知る範囲では、庶民も満足に食べられるようになったのは1960年代頃からです。80代以上の高齢者の多くは戦時中の貧しい食料配給を体験しているでしょう。

歴史をさかのぼれば、日本の庶民(ほとんどは農民階層)は常に飢餓との戦いでした。戦国時代といわれる時代の背景には食料問題があったと私は想像しています。徳川幕府によって戦国の世が平定された江戸時代でさえも、何度も飢饉が襲いました。それらの中でも、四大飢饉と言われるものが寛永19年から20年、享保17年、天明2年から7年、天保4年から10年です。

天明の大飢饉は、天明3年3月12日の岩木山と7月6日の浅間山の噴火が主因でした。火山灰の降積という直接的な被害にとどまらず、成層圏に漂った火山噴出物による日照量減少とそれにともなう冷害が農作物に壊滅的な被害を及ぼしました。

天保の大飢饉も火山の大爆発が指摘されています。中米ニカラグアのコシグイナ火山の大噴火により、地球の反対側にある日本にも日照量の減少による寒冷化が起きたようです。

1815年4月10日、インドネシアのタンボラ山の大噴火は、地球全体の気温を数度下げ、世界中で飢饉と疫病を蔓延させました。特に被害が大きかったのがヨーロッパでした。この噴火は、単に飢饉と疫病の蔓延にとどまらず、人類の歴史をも大きく変えたと言われています。

富士山は活火山です。記録があるだけでも、17回も噴火を起こしてきました。最後の大噴火は1707年。その時、関東平野一帯も火山灰に覆われ、房総半島まで被害が及びました。そもそも、関東平野を覆う関東ローム層という土壌は火山灰に由来しています。

近年でも火山の大噴火による食料難がありました。米あまりは政府のお荷物で、政府が補助金を出してまで減反政策を続けましたが、その米が1993年には記録的な不作でした。緊急輸入せざるを得ませんでした。この不作の原因は、1991年6月に起きたフィリピンのピナツボ山の大噴火が日本にも記録的な冷夏をもたらしたことと考えられています。

歴史は繰り返します。

(文責:鴇田 三芳)