第240話 農産物とペット

百姓雑話

よく「自然を大切に」と言われますが、人の手が入っていない自然というのは、少なくとも日本ではかなり少なく、人が何らかの形で自然環境に働きかけてできてきたものがほとんどです。日本の原風景である里山の雑木林は燃料の薪や堆肥用の落ち葉、山菜や茸をとるために、あるいは防風や防火のために整備され、人が介入して出来上がってきた風景です。もちろん田畑も。

農作物やペットも同様に人が手を加えて作り出されたものです。人は農耕を始めて以来、他の生物を都合の良いように改良して利用してきました。ある時は食料として、ある時は愛でる対象として。私はランチュウを飼っていますが、ぽっちゃりした体形が何とも愛くるしく品評会が催されるほど愛好家も多いわけですが、彼らがひとたび自然界に放たれれば、目立つ色彩、緩慢な動きからまず生き延びることはできないでしょう。金魚はフナを改良して様々な品種が生み出されています。また猫や犬の多くの品種も人間の都合で改良されてきたもので、特に犬は妙に足の短いもの、鼻の低いもの、怖いようなものから愛らしいものまで千差万別でこれで同じ種かと思われるほどです。

同じことは農作物にも言えます。同じ種類でも栽培適期の違うものや葉の形が微妙に違うものなど、同じ種類でも多くの品種があります。農作物の原種も野生に生えていた植物です。自然界ではありえないほどの根っこを肥大させた作物が大根やカブ、ニンジンといった根菜類であり、葉っぱを不自然に肥大させたものがキャベツやレタスでしょう。これらの農作物も農薬を散布したり、ネットをかけたりして人が手塩にかけて守るから、収穫までこぎつけるわけで、植えたままほったらかしにしておけば、まず虫・鳥に食べられるでしょうし、運よく生き延びても雑草との競争に負けてしまうでしょう。特に温度も高いこの時期は、雑草の適応力・増殖力には本当に感心させられます。この間も草を少し放置していた玉ねぎのうねでは、繁茂する雑草をかき分けてやっとのことで収穫しました。

自然のままの生物を利用した生業(なりわい、せいぎょう)としては、漁業や狩猟によって天然魚や野生動物を捕獲することや山で自生しているキノコや山菜を利用することがありますが、これらが我々人間の食料に寄与している割合はごくわずかと考えられます。

こうしてみますと畜産業も含めた農業という職業は、自然環境の力を借りて人工的に編み出された動植物の種類と同じく、人工的に作り出した田畑、あるいは牧場、畜舎で育て、人間の食料を生み出す産業といえるでしょう。それらの行為を見ると、ペットを飼うことと農業はとても似ているといえないでしょうか。

(文責:鴇田 三芳)