第256話 進化と退化

百姓雑話

「人類はもっとも進化した高等生物である」と学校で教えられました。今でも一般的にそう思われています。「脳が大きい」とか、「進化の過程でもっとも遅く発生した生物だから」とか、「食物連鎖の頂点に立っている」とかの理由で。生物進化の道筋を示す系統樹でも人類はもっとも上に描かれ、近年は、ゲノム解析からも進化の道筋が推察されるようになりました。

また、キリスト教の旧約聖書の創世記第1章には「神はまた言われた、『われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう。』」と書かれています。

ダーウィンの進化論に加え、キリスト教を信じる人々が世界を植民地化したため、「人類はもっとも進化した高等生物である」という通念が広く世界中に行きわたってしまいました。

ところで、私は畑でモグラをよく見かけます。私が農薬を使っていない関係で、土の中に害虫やそれを食べる虫がたくさん生息していて、それらをモグラは食べているようです。そのモグラは目が見えないと言われています。一般的にこの状態を「モグラの目は退化した」と言っています。視覚能力がなくなったことをネガティブに、つまり劣ることと表現しているのです。しかしモグラは、生きていくうえで必要性の薄い視覚を捨て、より必要な感覚に脳の処理能力をシフトさせ環境に適応してきました。単に目が見えないという点だけに着目するのではなく、環境への適応能力を進化の尺度として考えるなら、モグラという生物が視力を捨てたことは、退化ではなく、進化と言えるのではないでしょうか。蛇や深海魚についても同様なことが言えると思います。

教育によって刷り込まれた常識から離れた視点で自然界を見渡せば、このような事例はいくつもあります。

こんな事例を知るにつけ、「人類はもっとも進化した高等生物である」という通念に私は疑問を抱くようになりました。思い返せば、進化の定義も、進化の度合いを測る尺度や条件も曖昧なまま、その通念を教え込まれただけなのです。

もし生存能力という観点から高等性を評価すれば、絶滅せず太古から綿々と生き続けてきた生物のほうが人類よりもはるかに高等かもしれません。莫大な費用と時間と労力をかけて新薬を生み出す人間と、遺伝子を次々に変化させて挑んでくるウィルスと、はたしてどちらの方が進化した、あるいは進化の早い生物なのでしょうか。

「人間は自惚れがはなはだしく傲慢な生き物」と私には思えてなりません。今まさに人類は、その自惚れと傲慢さと強欲のために、存続の危機に立たされています。こんな状況を自ら作り出した生物を「もっとも進化した高等生物」と、はたして言えるのでしょうか。

今から数100万年前にアフリカのサバンナ地帯で誕生した人類は、その発生から現在に至るまで、もしかすると、絶滅に向かってひたすら退化し続けて来た生物種なのかも知れません。

(文責:鴇田 三芳)