第265話 養豚場(3)

百姓雑話

畜産業、とりわけ日本のそれは根深い問題をいくつもかかえている。例えば、人間が食べる穀類との競合、石油依存、そして畜産農家の犠牲は深刻な問題である。

まず、単純な質問から話を始めたい。それは「豚は何を食べるのか?」という問いである。たぶん、「餌に決まっているじゃないか」と一笑にふされるだろう。しかし、視点を変えて、ちょっと考えていただきたい。

政府の公表値によると、国内に流通している豚肉の半分ほどは国産である。国産品にこだわる人は、一応胸をなでおろし、ホッとするかもしれない。ところが、その国産豚を育てる餌のほとんどは輸入飼料に依存している。国産肉と言いながらも、中身は輸入肉と大差がない。実際、カロリー・ベースに換算すると、国産率は10%以下である。

豚や牛、鶏などの家畜の餌の総量は年間2400万トンほどであり、そのうち、もっとも重要な穀物は86%(平成27年度)が輸入である。量にして、1200万トンの穀物(おもにトウモロコシ)を飼料用として輸入している。つまり、餌の半分ほどは輸入ということになる。日本は20年以上も家畜飼料の輸入世界一である。その一方で、国産米の生産量は年間約860万トン(平成26年度)でしかない。

このデータから読み取れることの一つは、主食の米よりも家畜に与える飼料の方が数倍も多く、飼料に混ぜられている穀物も米の生産量を超えいてる。家畜に与える穀物は基本的には人間も食べられるので、人間と家畜とが穀物を奪い合っていることになる。この競合はすでに前世紀の終わりごろから顕著になってきた。だから、穀物価格が高騰してきたのも当然の結果である。

このような膨大な量の餌や肉が船で日本に運ばれてくる。つまり、石油なくして日本人は満足に肉を食べられない。

さらに、餌を生産するために不可欠な化学肥料や農薬の生産に石油が使われている。農業機械や輸送の車や船の製造と運用にも石油が欠かせない。いわば、肉という姿をした石油を食べているようなものである。このように、日ごろ何気なく食べている肉や卵は世界の食料問題やエネルギー問題と密接に関連しているのである。

最後に、畜産農家の犠牲に触れたい。

豚肉の生産にかかるコストには、おもに餌代、人件費、施設の建設費と維持費、糞尿処理や飼育環境の整備があるが、ほとんどの消費者が1円でも安い豚肉を買おうとしているので、結果的には悪臭対策にかかるコストは低く抑えられてしまう。

ほとんどの消費者が1円でも安い豚肉を買おうとするため、畜産農家の時給が下がり、ほぼ休みなく1年中働いても、生活するのがやっとの所得しか得られていない。もっと言えば、畜産所得で生活できる農家はマシな方である。バブル経済がはじけた頃から、畜産農家の廃業が後を絶たない。それも多額の借金を抱えたまま。そんな畜産農家の厳しい現状を、消費者が肉や卵を買う際、一体どれほど想像しているのだろうか。安い豚肉や牛肉、卵や乳製品を何不自由なく食べられるのは、畜産農家の犠牲の結果なのである。

人類は近年、大きな岐路にさしかかっている。見方を変えれば、深刻な危機に直面しているとも言える。それは、20世紀から始まった「民主主義と自由主義と資本主義によって引火された強欲の爆発」や「その強欲を満たすために年々エスカレートする資源の争奪戦」を原因としている。今や、まるで麻薬を絶たれた中毒者が朦朧(もうろう)としながら意味不明の暴言を吐き、世界を徘徊しているようのものである。あるいは、餌をたっぷり与えられて丸々太った豚が、急に餌を減らされ、「ブーブー」と泣き叫びながら狭い豚舎を暴れまわっているようにも見える。

ほとんどの人が、生きるために時間に追われ、なかなか周りを見渡す余裕が持てない。それが現実である。それでも、おいしい豚肉を口にする際、「こんなにも安く食べられて、本当にありがたいなー」とときどきは胸の中で呟いていただきたい。

(文責:鴇田 三芳)