第267話 偉業

百姓雑話

世に「偉業」とたたえられた発明や事業を数え上げたらきりがない。基本的に、そのどれもが人類の発展や新たな文明の創出につながったと評価されている。

しかし、それらの偉業が、庶民をどれほど幸福にしただろうか。地球上からたくさんの生物種を絶滅させただけでなく、人類そのものの生存さえ脅かしていないだろうか。

アインシュタイン。20世紀を代表する天才科学者である。あまりにも有名で、大学の理工系学部を出た方なら、一度は彼の業績を学んだであろう。彼は1921年、光電効果の理論的解明によってノーベル物理学賞を受賞したが、その他の研究も含めれば、何回も受賞して不思議ではなかった。

彼は、特殊相対性理論の中で、「物体の質量(日常では重さとして感じているもの)とエネルギーは等価である」と結論づけた。ニュートン力学では物質の質量は不変であるとされていたが、アインシュタインはこの質量不変の法則を否定した。式で書けば、E(エネルギー)=m(質量)×c(光速)の2乗という、きわめてシンプルな表現になる。この式は、何らかの原因で物質の質量がほんのわずか減っただけで、巨大なエネルギーが生まれることを意味している。

こんな理論を知ろうが知るまいが、私たちはこの理論の恩恵を日々受けている。それは、電気である。今や電気がなければ人類は生きていけないほど、電気の恩恵に浴している。その電気を作る方法の一つとして、原子力発電がある。福島原発事故の前、日本の総発電量の約32%は原発によっていた。世界一位のフランスでは、何と総発電量の76%強が原発である。その原発は、ウラニウムが核分裂し、その質量が減ることで発生する膨大な熱エネルギーを利用している。まさに彼の理論の延長線上にある。

そして、その延長線の反対側には15000発を超える核爆弾がある。人類の生存を脅かしているだけでなく、人類以外の生物の生存にも影響する破壊力を人類は手にしてしまった。

こんな所業をはたして偉業と言えるのだろうか。

今から40年くらい前になるだろうか、チャールストン・ヘストンが主演した映画「猿の惑星」を観た。あまりにも衝撃的だった。その当時、アメリカとソ連の冷戦が深刻化し、一触即発の状態であった。キューバ危機の時は、核戦争の淵に人類は立たされた。そんな時代背景がこの映画の着想に影響したのかも知れない。

私はその後、「猿の惑星」を何度も観るにつけ、「人類は偉業など成しえない」と思うようになった。「偉業」などという物言いは、長い地球生命史の一瞬、そして多分たまたま食物連鎖の頂点に立った人類の、身勝手な奢(おご)りでしかないような気がしてならない。

(文責:鴇田 三芳)