第270話 輝かしい・・・・・

百姓雑話

冬至の頃から比べれば、このところ太陽の輝きがかなり増してきた。陽だまりにたたずめば、もう春を十分に感じられる。畑では、越冬した野菜たちがチラホラ咲き始めた。

野菜を露地栽培する者にとっては、これから3月下旬までは気が抜けない。大雪の心配がある一方で、暑さ対策も日々怠ることができない。春レタスは真冬に苗を植えビニールで覆うのだが、晴れの日はビニール内の空間が暑くなり過ぎるので、換気が欠かせない。同様の理由で、育苗ハウスも開閉する。

ところで、「輝かしい・・・・・」と聞いて、悪いイメージやネガティブな印象を持つ人は、まずいないだろう。「輝かしい経歴」とか、「球界史にさんぜんと輝くホームラン記録」とか、おおむね良いイメージを与える。

しかし私は、天邪鬼(あまのじゃく)の性格からか、「輝かしい・・・・・」と聞いて、あまり良いイメージを持つことはない。物事を裏からも見られるようになってからというもの、輝くもので良いものを見つけるのに苦労する。

歴史と社会には裏がある。卑近な例では、世界のトヨタが空前の利益を上げた時、「輝かしい実績を打ち立てた」と自他ともに称賛しても、大方の人々は違和感を覚えないだろう。何しろ自動車産業は、電気産業が斜陽化してもなお、今でも日本の稼ぎ頭なのだから。

しかし、その裏には、とことん値下げをさせられた下請け、孫請け、ひ孫請け、さらに・・・・・と、大勢の弱い立場の人たちがいることも忘れてはならない。なかには、その人たちの不幸もたくさんあるだろう。

学校の成績も、そうである。輝かしい成績を上げた人の反対側には成績の低い人がいる。そんな相対的な価値が学歴社会を築き貧富の格差を拡大してきた。貧しい人たちの不満が許容範囲を超えれば、いずれは戦争で清算することになろう。

そして、その戦争で「輝かしい戦果」をあげ勲章をもらう人がでる。その裏では「敵」という、しかし、まったく同じ人間の屍の山がるいるいと築かれている。そう言えば、「輝」の文字は「光」へんの右に「軍」と書く。本来は、戦争に関連して言われた言葉なのだろうか。

かつて日本人も、大本営が勇ましく発表する「輝かしい戦果」を信じきり、2個の原爆投下で・・・・・・。

(文責:鴇田 三芳)