第302話 若者に未来を託す

百姓雑話

戦後の右肩上がりの時代を生きてきた者に比べ、現代の若者たちをとりまく社会環境はかなり厳しい。その未来もなお厳しい状況が待ち構えていると予想される。すでにヨーロッパの国々では、ドイツを除けば、ほとんどの国で若者たちを中心に失業者が溢れ、韓国や台湾でも以前から若者たちの就職難が続いている。経済成長が続く大国・中国ですら大卒者を中心に就職難が始まった。

その一方、日本では数年前から、サービス業を中心に人手不足が深刻化し、失業率が低くなってきた。その背景には、もちろん少子化と団塊世代のリタイヤによる労働人口の減少がある。

しかし、だからといって、労働市場が今後も売り手市場であり続けるかと言えば、私は懐疑的である。過去の経済活動を振り返れば、経営者側の常として、このまま放置するとは到底思えない。現に今、コンピューターとインターネットを駆使し、労働の機械化、自動化、省力化を急速に進め、人手を減らそうと躍起になっている。

若い勤務医の過酷な労働が社会問題化している医療界でも、たぶん10年もしないうちに、人余りの状態になるだろう。患者は、病院に行かなくても、スマホかパソコンに向かって受診できる時代がそこまで来ているからだ。人の命を預かる医療界をしてもそうなのだから、他の産業界は推して知るべし、である。ほとんどの産業界で、遠からず失業率が上がっていくと私は思っている。余談だが、私が従事する農業界は、政府の失業率統計には反映されないものの、すでに何十年も前に人余りが生じ膨大な数の農民が失業し、今もなお失業に歯止めがかかっていない。

いったい、こんな働きにくい時代を私たちはどう生きたらいいのだろうか。とりわけ先の長い若者たちは、人生の価値を何に見出し、どう人生設計を立てればいいのだろうか。収入が少ないために結婚を諦めている若者たちが非常に多いと聞くと、悲しくなって仕方がない。私の若い頃は、ほとんど収入がない学生同士の結婚も珍しくはなかった。生き物としてもっとも根源的な欲求を満たせない若者たちがバーチャルな世界に逃避している現実は、何とも生き地獄のように見えてならない。

公的機関の調査によると、近ごろ日本人の9割ちかくが「中国人が嫌い」と思っているらしい。近隣諸国との友好ムードどころか、軍事的にも政治的にも緊張関係と嫌悪感が支配的になっている現代、もしも軍事的な衝突にでもなれば、まず先頭に立って犠牲になるのは若者たちである。

私の若い頃には想像もつかなかった深刻な課題や問題が現代の若者たちには立ちはだかっていると私には思えてならない。

やはりそれでも、老いた者は若者たちに未来を託すしかない。それが生き物の宿命である。強制でも放置でもなく、若者たちにどう未来を託せばいいのだろうか。

今年も先々週、千葉大学園芸学部3年生が、授業の一環として、農業研修に来られた。初日は台風18号の影響で暴風雨が予想されたが、研修生のK君は松戸から自転車で農場にやってきた。片道1時間ちかくもかかる距離を毎日自転車で通った。研修内容を的確に理解し深く考察する優秀な学生だったが、それ以上に私が感心したのは毎日自転車で通ったことである。

最終日、夕陽に赤く染まる西方に彼が帰る姿を見送りながら、「こんな若者なら安心して未来を託せるな」と安堵した。そして、故・松下幸之助氏の人生訓を思い起こした。「逆境もよし、順境もよし、要はその与えられた境涯を率直に生き抜くことである。」年長者は、若者たちに未来を託するのが宿命なら、こんな人生訓を若者たちが真正面から受け止められるような、そんな世の中を実現すべくまだまだ努力しなければならない。

(文責:鴇田 三芳)