第308話 幸福の反対側に

百姓雑話

私は、就農する以前は、主に海外で援助活動をする民間団体(NGO:Non-Governmental Organization)で働いていた。開発途上国の抑圧されている人々や難民を支援する組織である。そこでの活動中に、ある種の使命感とともに、罪悪感のような蟠(わだかま)りを常に感じていた。「自分の仕事は人の不幸の上に成り立っているのかもしれない」と。

そんな蟠りもあって、ライフ・ワークにしたいと思っていたNGOでの活動をやめ、農業に就いた。農業は、人々の命を支える職業であり、人々の不幸を前提としている訳ではないと思ったからである。

ところが、いざ始めてみると、農業への自分の思いと農業の現実が一致しない場面に何度となく遭遇した。例えば、こんな例は頻繁に起こる。

夏から秋にかけて、露地栽培は天候の影響をもろに受ける。特に、秋の長雨とそれにとう日照不足、そして台風による暴風と豪雨は秋冬野菜に決定的な被害を及ぼす。去年も今年も、秋の天候異常で、野菜の価格が高騰した。

そんな中でも私は、事前に予測できる被害に対して可能な限りの対策をとれたため、幸い被害は軽微で済み、結果的に私の売り上げは増えた。努力が報われた結果であるものの、素直に喜べないのである。NGOで働いていた時と同じような蟠りが頭をもたげ、「お前は人の不幸によって儲かっているだけじゃないか」と、喜ぶ気持ちにブレーキをかけるのである。きれいごとのように聞こえるかもしれないが、偽らざる気持ちである。

そんな私の目には、人の不幸を職業にしている人たちが世の中にはたくさんいるように見えてならない。

東北大震災で、多くの人たちが亡くなり、それ以上の人たちの生活が根底から破壊された。今なお、その傷は癒えていない。そんな人たちを尻目に、ぼろ儲けした業者がいた。中には、公的資金を不正受給し摘発された業者もいた。邪推すると、摘発されたのは氷山の一角かも知れない。

人の不幸の上に成り立つ究極の職業は戦争である。日本も他国の戦争でぼろ儲けをしてきた。第一次世界大戦で、そして、第二次世界大戦の後の朝鮮戦争で。「日本が戦後復興を急速に成し遂げ悲願のオリンピックを開催できたのも、朝鮮半島の人々の不幸があってである」と言ったら言い過ぎだろうか。

私たちの身近なところにも、人々の不幸の上に成り立っている職業がたくさんある。その最たるものが医療機関や製薬会社であると私は思っている。病気やけがで苦しむ人々の不幸がなければ、存立しない職業である。日本では、医療費が国家財政の大きな負担となっているが、どれほどの医療関係者がこの窮状を深刻に受けとめているのだろうか。「私たちが暇なくらい、人々が健康なほうが本当はいいんだよね」などと心底から言える医療従事者がどれほどいるのだろうか。

しかし悲しいかな、いざとなれば、こんなことを思っている病院嫌いの私も、結局は病院に行ってしまうのである。

何はともあれ、他人の犠牲に拠ることなく、喜々として生きてみたいものである。

(文責:鴇田 三芳)