前話「搾取からの解放」でも述べたように、農業で喰っていくのは容易ではない。とりわけ非農家の者が新規就農しようとすれば、ハードルがグンと高くなる。これを乗り越える手立ての一つは、できるだけ他の農家と競争しないことである。
競争すれば、経済原理からして当たり前のことだが、価格競争に巻き込まれてしまう。農業は生産方法などの創意工夫を特許などの法的手段で守れないため、価格競争が熾烈(しれつ)になる。10や20%の値下げは当たり前。豊作ともなれば、半値以下に落ち込むことも珍しくはない。
では、どのように競争を避ければいいのだろうか。
従来よく行なわれてきたのは、農業用ハウスを利用し、生産量の少ない時期に出荷をずらす方法である。寒い時期や雪国でも重油などを燃やし加温すれば、夏野菜のトマトやキュウリ、イチゴなどを出荷できる。寒い季節でも夏野菜を食べる習慣が一般化したため、この方法は利益を出せた。
ところが今、日本ではこのハウス栽培が曲がり角に立っている。多額の費用をかけて建てにもかかわらず、使われずに放置されたままのハウスがあちこちに見られる。その原因として指摘されるのが後継者不在である。くわえて、全国規模でハウス栽培が過剰になり、利益があまり出なくなったことも原因している。かつては儲かったハウス栽培も、競争が激化し、価格が低迷するようになってしまった。
栽培時期をずらす以外に、競争を避ける方法はないものかと私は長年にわたり模索してきた。その一つの手立てとして、農薬を使わない野菜を生産してきた。しかし期待に反して、その苦労と技術力を正当に評価してくれる消費者はあまりにも少ない現実があった。また、もの珍しい野菜も栽培してみた。これが思惑どおりに売れると、他の農家がすぐに参入し、数年後には値崩れしてしまった。農薬を使う農家と競争しても、それらの努力のほとんどが徒労に終わってきた。
そして結局、「米や畜産物とは異なり、野菜市場は自由化されているため、世間の民間企業と同じように、競争を避けるのはほぼ不可能」という思いを強くした。
物心ついたころから学校で競争を強いられ、「受験戦争」という競争で心身を磨り減らして入った大学。サラリーマン時代は競合他社に負けまいと必死に働いた。サラリーマンとは違う生き方を求めて農業に就いてみても、サラリーマンが現役から退く歳になった今でも、競争する自分がいる。
競争は生物としての宿命であり、競争を否定するつもりは毛頭ない。度を超えない競争は、適度の刺激を与えてくれ、生きる張り合いも与えてくれる。私のような高齢者にとっては、ボケ防止の一助にもなっている。
しかし、過度の競争は確実に心身を蝕む。バブル経済の崩壊後に増えてきた鬱病患者の増加が何よりの証左である。
もし今後10年、健康が維持され営農が続けられたら、何とか「過度の競争をしなくても営農できる方法と生き方」を体得し、農業の未来を担う後継者に伝えたい。
(文責:鴇田 三芳)