第326話 ジレンマ

百姓雑話

新規就農してから30年近くが過ぎた。バブル経済まっただ中の1990年に脱サラ就農したこともあって、この間、たくさんの問題に苦悩し、そそり立つ苦難に道をふさがれてきた。そのころ脱サラ就農した人たちのほとんどが同じような辛酸をなめた。何度も挫折しそうになったが、幸い私は、妻や研修生に支えられ、どうにか高齢者の域まで営農し続けられた。こうして今があるのは、感謝以外の何物でもない。

非農家出身の者でも、近年は行政の支援が手厚いので、問題や苦難に悩まされることが相当減った。やっと農業分野でも時代が変わってきた。向かい風の時代と闘ってきた者としては、語りつくせぬ複雑な思いを抱いている。

時代は変わったとはいえ、今も昔も変わらないことに農民は苦悩する。たぶん、将来にわたっても続くだろう。それはジレンマである。生活をかけて営農すると、いくつものジレンマに悩まされる。

たとえば、「目先の収入を稼ぐか、先々のために準備をするか。」 限られた労働力をどう配分するかというジレンマである。除草剤を使わずに多品目を栽培する者は、「収穫を優先するか、収入にならない草対策を優先するか。」というジレンマに必ずつきまとわれる。「新たに投資するか、今ある資産でどうにか続けるか。」 ビジネスの世界にはつきもだが、このジレンマが後継者のいない農家にとってはもっとも深刻である。正確に言えば、「深刻であった」となるかもしれない。後継者のいない農家のほとんどは、もう未来に見切りをつけ、今ある資産と体力の範囲で細々と営農しているのが実情である。

もとより、消費者はより安い物を求め、生産者はより高く売りたい。どちらの欲求も当然である。そこで、価格のジレンマが生まれる。「薄利多売で大量生産するか、利益率の高いものを少量生産するか。」悩まされる。貯蔵のきかない生鮮野菜を生産する農家にとっては、出荷調整がきかないために、このジレンマが深刻である。

このジレンマには別の問題も内包されている。それは、広く社会に浸透しているもので、第3次産業が第2次と第1次産業を構造的に抑圧している現実である。合法的搾取と言えなくもない。余談だが、そもそも、法律は万民の利益にかなうようにはできていない。「合法」とは方便なのである。それは、人間社会を営むうえでは非常に重要なのだが、普遍性はなく真理でもない。平時の殺人と戦場での敵兵殺戮、タバコと違法ドラッグ、公営ギャンブルと違法賭博を対比してみれば、大人なら誰でもわかる。

これらのほかにも、農家のジレンマは紙面に尽くせないほどある。「品質を落としてでも数を売るか、数を減らしてでも品質を上げるか」、「家族だけでどうにかやりくりするか、家族以外の者を雇うか」、「販売価格が安くても無難な時期に栽培するか、栽培の難しい時期にチャレンジするか」、「栽培する種類を減らして生産効率をあげるか、生産効率を落してでも失敗するリスクを分散するために種類を多くするか」、・・・・・・・。語りつくせない。

まじめに頑張れば頑張るほど、「ジレンマ」という大海を太陽と星座をたよりに泳ぎ続けなければならない。営利を目的としたビジネスの世界では、避けがたい宿命なのかもしれない。

(文責:鴇田 三芳)